[団地再生物語]新連載はじめます

団地再生物語 | 2012.2.14

住まいのコラムでは、「団地」に焦点をあてた新連載をはじめます。

みなさんは「団地」という言葉を聞いてどのようなことを思い浮かべるでしょうか。年代によってもさまざまだと思いますが、1970~80年代、日本にはたくさんの団地が建てられました。その数は最大で年間40万戸とも言われています。

少し「公団」の歴史を振り返ってみましょう。

公団の発足は1955年の日本住宅公団。その後、都市基盤整備公団を経て、現在は独立行政法人都市再生機構、「UR都市機構」と呼ばれています。戦後の日本の立て直しにあたり、まずは地方から都心へ流入する多くの人の住宅供給不足を解消、かつ生活の水準をあげていこうという考えで始まりました。

その時期に開発された「公営住宅標準設計C51型」というプロタイプは35~40m²以下という、今ではとても家族4人が過ごせるような家の大きさではなかったのですが、まだものも少なく簡素な暮らしであった時代、なんとかその大きさでも暮らしていけました。
そこで提案された間取りは、食べるところと寝るところを分けるという当時では画期的な間取りで、そのあとに開発されるステンレスでつくられたダイニングキッチンとあわせて、都市生活者のあこがれの住まいとなっていったのです。

それから公団は次々と住宅供給を進め、1970年代に入ると、日本は高度成長の時期に入り、都市の人口は急増するなか次々と公団は住宅開発をし、都市に急激に流入した生活者に対する住宅供給不足を解消していこうとしていきました。

すでにこの時点で、公団が開始されてから20年近くがたっていました。人々の暮らしぶりも変わり、特に物も増えて豊かになっていくなかで、開発される住居の床面積も少しづつ広くなり、間取りのバリエーションも多様になっていきました。この頃になると民間のマンションデベロッパーも住宅開発に乗り出すようになり、その後民間の勢いが公団の役割を凌駕するような時代も訪れます。

実はこの時代の建物が30~40年経ち、立て替えの時期になりつつあります。つい最近までは、古い建物群は一様に解体され、民間に土地が払い下げられ、新たな新築マンションとして開発されていたのが主流でした。しかしここにきて、既存の建物をもっと活用したほうがいいのではないかという話題が進んでいるのです。

当時の公団は5階建てが主流で、建物と建物の間は緑地が広くとられ、日あたりや風通しが確保されていました。現代の高密度な新しいマンションに比べると、圧倒的に贅沢な土地の使い方をしていたといえます。こうした団地やマンションをうまく再利用すれば、良質な都市環境が保たれるのではないか、という考えです。

とは言え問題もあります。当時(1970年代)の間取りの標準は50m²くらい。ファミリー世帯が暮らすことを前提につくられた部屋は、部屋の数を確保するために細かく仕切られており、設備類も一部は老朽化しています。現代の暮らしに合わせて変更する必要がでてきているのです。

みんなで考える団地再生のかたち
日本の人口はピークを越え、さらには一人暮らしの人の割合が急速に増えています。こうした人口の変化は新しい暮らし方を必要ともしています。キッチンの大きさ、お風呂のかたち、寝室やリビングといったものも大きく変わっていくでしょう。この連載では、団地の再生というテーマを通して、これからの暮らしや住まいかたを考えていければと思います。

なぜなら日本の暮らし方のスタンダードを追求してきた団地をよみがえらせる事は、もう一度多様化した日本の暮らしに、新たなスタンダードをつくっていく事にほかならないからです。
この連載コラムでは、事例などもご紹介していく予定です。今後の「団地再生物語」にご期待ください。

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