団らんの記憶―「茶の間」

住まいのかたち | 2008.4.29

日本人と「茶の間」
「みんなで考える住まいのかたち」第3回アンケート「家族とのコミュニケーションについて」では、過去の団らんの記憶、現在の様子、そして未来の理想の団らんの場所について調べてみました。過去の団らんの記憶でもっとも多かった場所はこたつで、その次が「ちゃぶ台」でした。こたつや「ちゃぶ台」が日本人の記憶の中でいかに根強く浸透しているのかを認識させられます。
前々回のこのメルマガでは「こたつ」について書きましたが、今回は「ちゃぶ台」とセットの「茶の間」について触れてみましょう。

茶の間という部屋が生まれるのは明治の後半で、そんなに古いものではありません。茶の間は一言でいえば、食事をする空間として生まれました。
当初、夜は「ちゃぶ台」を片付けて寝室として使われましたが、そこが徐々に家族の中心の場所になり、家族が一緒に過ごす場所ヘとなっていきます。以来昭和30年代まで、日本の家では一般的なものでした。サザエさんのうちの茶の間を思い浮かべて下さい。家族みんなで食事をする空間です。

茶の間の歴史
さて、少し歴史的な点から茶の間を考えてみましょう。
下の間取りを見てください。茶の間が生まれた明治時代後半の典型的な間取りです。この間取りは、文豪、森鴎外が明治23年から数年、夏目漱石が明治36年から数年間住んでいた、東京駒込千駄木の家の間取りです。

1 書斎
主人の親しい友人などはここで面会をしました。
2 座敷
次の間とあわせて続き間となり、来客が主人と面談をする場です。行事など特別なときに、大きな空間として使うことができます。
3 寝室として使われました。

座敷の上にあるのが、今回のテーマの茶の間です。
家の中心に位置し、どこからも直接入れるようになっています。
さらに茶の間の上側には縁側があり、茶の間につながっています。また、家族の動線が交錯しないよう最小限の廊下も生まれ、茶の間と台所とはこの廊下で結ばれています。

このように、茶の間は家族が暮らす、中心の部屋へとなっていきます。そして、そこに現れる「ちゃぶ台」は家族の団らんのシンボルとなっていくのです。おりたたみのできる便利な「ちゃぶ台」では、家族が鍋をつつきあう光景が生まれたといいます。今でも家族の団らんにつきものの鍋はこの時代に登場したものです。家族の団らんという意識の芽が生まれてくるのです。ここに、茶の間で団らんという原風景が生まれます。
そして日本の住宅の間取りは、私的(プライベート)な家族のための茶の間と、公的(パブリック)である座敷や書斎の空間が進化して、現代の間取りの基本を作っていくことになります。

これからの団らんのありかた
現代の間取りを少し考えてみましょう。
上記のような流れで、茶の間はダイニングへと発展していきました。一方、応接や座敷にあったパブリックな機能はリビングへと発展していきます。しかし、リビングルームにはダイニング側からつながる家族のプライベートな空間の役割もあるでしょう。ここに2つの相反する機能が混在してしまうのが現代の間取りの課題でもあります。さらにリビングでは大きな液晶テレビの出現も新しい特徴のひとつになりそうです。

「家族とのコミュニケーションについて」のアンケートで、「現在の団らん場所」をお聞きしたところ、「過去の団らん場所」で多かった「こたつ」に変わって、「ダイニング」とこたえた人(53.4%)がもっとも多かったのはこうした背景からきているといえそうです。

今後家族の団らんの場所の中心をどこにおくのかいいのでしょうか。かつての茶の間のように徹底してダイニングに重点を置くのも、答えのひとつになるかもしれません。食事を一緒にするのは、家族がなごむ最も楽しい時間です。大きなダイニングテーブルで、食事をしたり、話をしたり、くつろいだり、または仕事をしたりと、家族が集まる空間を演出する事もできそうです。茶の間の生まれた背景をヒントにしながら、もう少し団らんについて考えていきたいと思います。
皆さんはどう思いますか? ぜひ理想の家族の団らんのありかたを考えてみてください。

2008年4月29日配信 無印良品の家メールニュース Vol.83より