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vol.1 最小限にたどり着く
text: 原 研哉
column | 2014.11.13

ベイルートを拠点としているランドスケープ・アーキテクトの招きで、その仕事をレバノンとヨルダンに見に行きました。レバノンの首都ベイルートは地中海の東端、海から緩やかな傾斜が山へと続く、素晴らしい景観と気候に恵まれた土地で、彼に仕事を依頼するクライアントはいわゆる大富豪ばかり。日本では想像できない家や庭の規模に驚かされました。ヨルダンでは、世界最大の地溝帯の一部で、かつての海底が隆起してできたという「月の谷」を見に行きました。荒々しく巨大かつ圧倒されるほど美しい地形。その壮観にしばらくは言葉を失いました。このような手つかずの大自然を前に、果たしていかなる人工物をつくれば、この天然の恵みを手にできるかを考えぬいた彼は、「何もつくらない」という考え方にたどり着いていました。風雨や外敵から身を守ったり、安心して眠ったり、景観を楽しんだりすることが保証されるなら、人工物は最小であるべきなのです。そうすることでむしろ、自然の全てを享受することができる。その考え方に、僕は深く共鳴しました。

何もないか、あるいは最小のものを持つだけで、豊かな満足を手に入れることができるという着想は勿論、彼に始まったことではありません。日本人は古来より自然を敬い、それを尊ぶ姿勢として同じような方法をとってきました。むしろ、そういう着想は日本がお家芸だったのです。しかしながら、ものにあふれた今日の日本ではその姿勢や思想が忘れられようとしています。僕らは一度、持っているものの大半を始末してみてもいいのかもしれません。思い出や記憶の張り付いた物品を捨て去るのは簡単な作業ではありませんが、思い切ってやってみる価値はあるはずです。

何もものを置かないすっきり空っぽのテーブルを想像してみてください。できれば、いい風合いの素材を用いた、ずしりと存在感のあるテーブルを。そこに選りすぐりの物品をぽつりと置いてみる、と、たちどころに「空間」が生まれます。
僕はかつて、「空間」という言葉の意味するものが分かりませんでした。床、壁、天井で囲まれた場所のことか、あるいは意識化された三次元的な容積か。学生時代のことですが、ふと、机の上に火のついていないタバコを一本立ててみたことがあります。不安定な状態ですがタバコはすっくとそこに立ち、周りを独特の緊張感で満たしたのです。触れるとすぐに倒れてしまう、実に弱々しくはかなげな状態ではありますが、そのあやうさが、周囲の空気にピンと張りを与えていましました。なるほど、こういうことだったのかと、その時に少し「空間」の秘密が分かったような気がしたのです。

経験を重ねてくることで分かるようになるものや、味わえるものがあります。「家」はまさにそういうもののひとつだと思います。子供や家族のための家も、勿論大切ですが、自分自身を発見し直していくための家作りも重要です。そぎ落としながら世界を味わい直していく、そんな最小限の空間としての家です。

原研哉|はらけんや
デザイナー。1958年生まれ。デザインを社会に蓄えられた普遍的な知恵ととらえ、コミュニケーションを基軸とした多様なデザイン計画の立案と実践を行っている。日本デザインセンター代表。武蔵野美術大学教授。無印良品アートディレクション、代官山蔦屋書店VI、HOUSE VISION、らくらくスマートフォン、ピエール・エルメのパッケージなど活動の領域は多岐。著書『デザインのデザイン』(岩波書店刊、サントリー学芸賞)『白』(中央公論新社刊)は多言語に翻訳されている。
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